世界の陶磁器産地 | チェコ編
白い土は、なぜ食器だけで終わらなかったのか。
チェコ西部のボヘミア地方は、ガラスの産地として知られています。しかし、この地域でもう一つ重要な産業となったのが、磁器と陶器でした。
カルロヴィ・ヴァリ周辺には、磁器の原料となる良質なカオリンがありました。森からは窯の燃料を得ることができ、ザクセンやバイエルン、オーストリアに近い立地は、技術の導入や製品の流通にも適していました。
18世紀末に始まったボヘミアの磁器生産は、食器だけにとどまりません。装飾品、彫像、タイル、衛生陶器などへ用途を広げ、地域の産業として発展しました。
今回は、現在のチェコに位置する代表的な陶磁器産地を中心に、白い土からどのような産業が生まれたのかを見ていきます。

※ここで紹介するのは、チェコの陶磁器産地の一部です。創業当時、この地域は現在のチェコ共和国ではなく、ハプスブルク君主国の一部でした。国境や企業の名称、生産体制は、その後たびたび変化しています。
カルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)周辺|「白い金」が生んだ磁器産業
チェコを代表する磁器産地は、西部のカルロヴィ・ヴァリ周辺に集中しています。
この地域で採れるカオリンは白さと品質に優れ、「白い金」とも呼ばれました。なかでもセドレツで採れるカオリンは、品質を測る基準として国際的にも知られるようになります。
良質な原料があるだけで、産業が生まれたわけではありません。周辺には燃料となる森林があり、ドイツ語圏の窯業地域とも近接していました。原料、燃料、技術、販路が結びついたことで、複数の磁器工場が集まる地域へと成長していきます。
温泉保養地として多くの人が訪れたカルロヴィ・ヴァリの存在も、磁器産業を支えました。ホテルや飲食店で使われる食器、土産品、温泉水を飲むための専用カップなど、都市の文化そのものが磁器の需要を生み出しました。
ホルニー・スラフコフ(Horní Slavkov)・クラシュテレツ(Klášterec nad Ohří)|マイセンから遅れること約80年
ドイツのマイセンで、ヨーロッパ初の硬質磁器の製造に成功したのは18世紀初頭のことです。1710年には、王立磁器製作所が設立されました。
そこから遅れること約80年。現在のチェコで最初期の磁器工場が、1792年にホルニー・スラフコフで設立されました。続いて1794年、クラシュテレツ・ナド・オフジーでも磁器生産が始まります。クラシュテレツの工場は、のちにトゥーン(Thun)の名で知られるようになりました。現在のトゥーン1794は、ノヴァー・ロレ(Nová Role)を拠点に、家庭用からホテル・レストラン用まで幅広い食器を生産しています。
ここで重要なのは、ボヘミア磁器が一人の王や一つの王立窯によって完成したものではないことです。
複数の工場が、周辺の原料とドイツ語圏から伝わった技術を利用しながら、それぞれ異なる形や装飾、価格帯の製品をつくりました。王の命によって始まったマイセンとは異なり、ボヘミアでは民間の工場を中心に磁器生産が広がっていきました。
ドゥビー(Dubí)|国境を越えて定着したブルーオニオン
チェコを代表する食器の一つが、ドゥビーでつくられるブルーオニオンです。
チェコ語では「ツィブラーク(Cibulák)」と呼ばれ、白磁の表面にコバルトブルーで植物文様が描かれています。「玉ねぎ模様」という名前で知られていますが、原案に描かれていたのは、中国磁器に由来する桃やザクロ、牡丹などでした。
ブルーオニオンの意匠は、18世紀のドイツ・マイセンで成立したものです。ドゥビーでは1885年から生産が始まり、チェコを代表する食器として定着しました。つまり、ブルーオニオンはチェコだけで生まれた文様ではありません。
中国磁器の文様がヨーロッパで解釈され、マイセンからボヘミアへ伝わり、異なる産地でつくり続けられたものです。その歩みには、陶磁器の意匠と技術が国境を越えて移動してきた歴史が表れています。
ドゥフツォフ(Duchcov)|食卓を離れた磁器
ドゥビーに近いドゥフツォフでは、1853年に陶磁器工場が設立されました。のちにロイヤル・ドゥックス・ボヘミア(Royal Dux Bohemia)として知られるようになり、人物像や動物像、大型の装飾品などを生産します。
ここで磁器は、料理を盛るための器ではなく、室内を飾る美術工芸品になりました。
細かな表情や衣服の動き、植物や動物の姿を立体で表現するには、原型制作、型による成形、彩色、焼成など、それぞれ異なる技術が必要です。食器の量産で培われた材料と焼成の技術は、装飾磁器という別の市場にも展開されました。
ラコヴニーク(Rakovník)|建築を覆った陶磁器
チェコの窯業は、食卓や室内装飾だけに広がったのではありません。
ラコヴニークでは1883年に陶磁器工場が設立され、のちにRAKOの名で知られる壁用・床用タイルの生産へと発展しました。タイルは、建物を装飾するだけでなく、水や汚れから壁や床を守ります。住宅、商業施設、駅、浴室などに使われ、近代都市の衛生と耐久性を支える材料になりました。
器をつくる技術が建築材料へ転用されたことで、陶磁器は食卓から都市空間へと用途を広げていきます。
ベヒニェ(Bechyně)・ズノイモ(Znojmo)|衛生陶器をつくる産地
南ボヘミアのベヒニェでは、16世紀から陶器生産の歴史があり、近代には陶芸教育と工業生産の拠点が形成されました。
20世紀には近代的な工場が整備され、便器や洗面器などの衛生陶器がつくられるようになります。ズノイモの工場とともに生産体制が再編され、現在も浴室用陶器の製造が続いています。
衛生陶器には、装飾的な美しさよりも、強度、寸法精度、清掃性、安定した量産が求められます。
同じ土と窯を使いながら、食器とは異なる技術と品質基準が発達しました。陶磁器が近代の衛生環境を支える工業製品になった例です。

ボヘミア磁器は、国境を越えた産業だった
チェコの陶磁器を、一つの様式だけで説明することはできません。
カルロヴィ・ヴァリ周辺では、カオリンを背景に磁器工場が集まりました。クラシュテレツでは食器産業が発展し、ドゥビーではドイツから伝わったブルーオニオンが地域の象徴になりました。ドゥフツォフでは装飾磁器、ラコヴニークではタイル、ベヒニェとズノイモでは衛生陶器がつくられました。そこにあるのは、閉じた「チェコ固有の伝統」ではありません。
中国磁器の意匠、マイセンの技術、ハプスブルク君主国の市場、ドイツ語圏との人や技術の移動。さまざまな要素がボヘミアの原料と結びつき、この地域の窯業をつくりました。そして、食器をつくるために蓄積された技術は、装飾品、建築材料、衛生設備へと展開されました。
チェコの陶磁器産地が示しているのは、一つの産業が長く続くためには、伝統を守るだけでなく、同じ材料と技術から新しい用途を生み出す必要があるということです。



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