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世界の陶磁器産地 | ドイツ編

9月30日
読了時間: 4分

ヨーロッパで最初の硬質磁器は、なぜドイツで生まれたのか。


長い間、ヨーロッパにとって、中国や日本から運ばれてくる磁器は、製法の分からない憧れの品でした。

白く、硬く、光を透かす磁器は「白い金」とも呼ばれ、王侯貴族たちは競うように収集しました。その製法をヨーロッパで再現しようと、各地で試みが続けられます。

そのなかで、ヨーロッパ最初の硬質磁器が生まれたのが、18世紀初頭のドイツです。

背景にあったのは、豊かな原料だけではありません。君主による支援、科学的な実験、技術を守る仕組み、熟練した職人、そして製品を各地へ届ける流通網。ドイツの陶磁器産地は、異なる条件が結びつくことで発展してきました。


※ここで紹介するのは、ドイツを代表する陶磁器産地の一部です。
※ここで紹介するのは、ドイツを代表する陶磁器産地の一部です。

ヴェスターヴァルト(Westerwald)|灰青色の炻器を生んだ土地

磁器が誕生する以前から、ドイツでは実用的な炻器がつくられていました。

その代表的な産地が、ドイツ西部のヴェスターヴァルトです。良質な粘土、窯の燃料となる森林、ライン川へつながる交通条件に恵まれ、壺や瓶、ジョッキなどの生産が盛んになりました。

とくにヘール=グレンツハウゼン(Höhr-Grenzhausen)周辺は、「カンネンベッカーラント」と呼ばれる陶器づくりの地域です。この土地を象徴するのが、灰色の素地にコバルトブルーの装飾を施した塩釉炻器。焼成中の窯に塩を投入することで、表面に硬く独特な質感の釉薬を生み出します。

丈夫で水を通しにくいヴェスターヴァルトの器は、日常の保存容器や飲料容器として広く使われ、国外へも運ばれました。



マイセン(Meissen)| ヨーロッパ最初の硬質磁器

18世紀初頭、ザクセン選帝侯アウグスト強王は、ヨーロッパで磁器をつくるための研究を進めさせました。

エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスと、錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベトガーらによる実験の末、1708年頃、硬質磁器の製造に成功します。

1710年には、マイセンのアルブレヒツブルク城(Albrechtsburg)に王立磁器製作所が設立されました。城は製法を外部から守る場所でもあり、磁器づくりは厳重な管理のもとで行われました。

初期の製品には、中国や日本の磁器から影響を受けた文様や形が多く見られます。その後、絵付けや人物像、動植物の造形など、ヨーロッパ独自の表現が発達しました。

マイセン磁器は、原料だけから生まれたものではありません。宮廷の資金と需要、科学的な研究、職人の技術、そして製法を管理する組織がそろったことで実現したのです。



ベルリン(Berlin)| プロイセン王が育てたKPM

18世紀になると、磁器製造の技術はドイツ各地へ広がっていきます。

ベルリンでは民間による磁器製造が試みられましたが、経営は安定しませんでした。

1763年、プロイセン王フリードリヒ2世が製作所を取得し、王立磁器製作所KPMベルリン(Königliche Porzellan-Manufaktur Berlin)が成立します。フリードリヒ2世は、自ら宮殿用の食器や装飾品を注文しました。KPMの磁器は宮廷で使われるだけでなく、外交上の贈答品としても重要な役割を担います。

ベルリンでは、磁器は単なる高級品ではなく、王国の文化や技術力を示すものとして育てられました。



ゼルプ(Selb)とホーエンベルク(Hohenberg an der Eger)| 磁器を工業製品へ

19世紀になると、ドイツの磁器づくりは宮廷中心の生産から、より多くの人に向けた工業生産へと移っていきます。

その中心の一つとなったのが、バイエルン州北東部のゼルプとホーエンベルクです。

ホーエンベルクでは、19世紀初頭に民間の磁器工場が誕生し、地域の磁器産業が発展しました。ゼルプではその後、複数の工場が集まり、家庭用食器や業務用食器が大量に生産されるようになります。

1880年には、フィリップ・ローゼンタールがゼルプ近郊で磁器の絵付け工房を開設。やがて自社工場を持ち、芸術家やデザイナーとの協働によって、磁器と近代デザインを結びつけていきました。

この地域では、窯や機械、職人、原料供給、製品を販売する企業が集積し、磁器づくりが地域を支える産業へと成長しました。




「白い金」が、日常の器になるまで

ドイツの陶磁器史を特徴づけるのは、磁器そのものの発明だけではありません。その技術が、宮廷の秘密から国家の産業へ、さらに人々の暮らしを支える工業製品へと変化したことにあります。

マイセンの磁器は、城の中で製法を守られ、王侯貴族のためにつくられました。ベルリンでは、磁器が国家の文化と技術力を示すものになりました。そしてゼルプやホーエンベルクでは、工場による生産が広がり、磁器はより多くの家庭や飲食の場で使われるようになります。


かつて「白い金」と呼ばれた磁器は、特権階級の収集品だけではなく、食卓を構成する日用品となり、やがて近代デザインの対象にもなりました。ドイツの陶磁器産地をたどることは、一つの素材が、権力の象徴から産業へ、産業から生活文化へと移っていく過程を見ることでもあります。



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