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世界の陶磁器産地 | フランス編

9月29日
読了時間: 5分

なぜ、磁器は国家の芸術になったのか。


鮮やかな色彩と金彩、彫刻のような造形を持つセーヴル磁器。

白い素地と繊細な絵付けで知られるリモージュ磁器。

フランスでは、陶磁器は生活の道具としてだけでなく、王室の権威や国家の技術力、美意識を示すものとして発展しました。

18世紀のヨーロッパでは、中国や日本から輸入された磁器が高い価値を持っていました。

ドイツのマイセンが硬質磁器の製造に成功すると、フランスでも独自の磁器をつくることが国家的な課題になります。王室の支援を受けたセーヴルでは、陶工だけでなく、画家、彫刻家、金工師、科学者などが制作に関わりました。磁器は、一つの工芸分野を超え、当時の装飾芸術を集約する媒体となっていきます。


一方、フランスの陶磁器産地はセーヴルだけではありません。

カオリンの発見によって硬質磁器の産地となったリモージュ。イタリアから伝わった技術を基礎にファイアンスを発展させたヌヴェール。近代的な工場生産によって日常の食器や建築陶器を広く供給したサルグミーヌ。


今回は、フランスを代表する四つの陶磁器産地から、王室の美術品が産業と市場へ広がっていった過程を見ていきます。


※ここで紹介するのは、フランスの陶磁器産地の一部です。歴史上の窯場と現在の生産地は、必ずしも同じ場所や仕組みで継承されているわけではありません。



ヌヴェール(Nevers)|イタリアから伝わったファイアンス

フランスで磁器の生産が本格化する以前から、各地ではファイアンスと呼ばれる錫釉陶器がつくられていました。

ファイアンスは、陶器の表面に白い錫釉を掛け、その上に色彩豊かな絵を描いた焼きものです。白い磁器をまだ製造できなかった時代のヨーロッパでは、明るい白地に装飾できるファイアンスが広く受け入れられました。


ヌヴェールでは、16世紀末、イタリアのマントヴァから移住したコンラード兄弟によってファイアンスの技術が伝えられました。イタリア・ルネサンスのマヨリカに由来する人物や物語の装飾に加え、中国や中東の陶磁器、西洋の版画など、さまざまな表現が取り入れられました。

17世紀にはフランス王国を代表するファイアンス産地へ成長し、器だけでなく、大皿、壺、薬用容器、装飾品などがつくられました。ヌヴェールは、技術が国境を越えて移動し、地域の材料や文化と結びつくことで新しい産地が生まれることを示しています。



セーヴル(Sèvres)|王室が育てた磁器製作所

セーヴルの起源は、1740年にパリ東部のヴァンセンヌ(Vincennes)に設けられた軟質磁器の工房にあります。

当時のフランスは、ドイツのマイセンや中国、日本の磁器に対抗できる製品を必要としていました。工房はルイ15世の宮廷やポンパドゥール夫人の支援を受け、1745年には王室の特権を与えられます。


1756年、工房はヴェルサイユへ向かう道に近いセーヴルへ移され、1759年には王室の管理下に置かれました。

セーヴルでは、器の成形や焼成だけでなく、絵付け、彫刻、金彩、顔料の研究まで、専門的な仕事が細かく分けられていました。著名な芸術家や科学者も制作に関わり、新しい色彩や形、装飾が開発されました。


完成した磁器は宮廷で使われるとともに、各国の君主や大使への外交贈答品にも選ばれました。

セーヴルの磁器は、単なる高級食器ではありません。フランスの技術、美術、王室の権威を国外へ示す役割を担っていました。



リモージュ(Limoges)|カオリンが生んだ硬質磁器の産地

フランスの磁器生産を大きく変えたのが、1768年、リモージュ近郊のサンティリエ・ラ・ペルシュ(Saint-Yrieix-la-Perche)で発見されたカオリンです。

カオリンは、白さ、硬さ、透光性を持つ硬質磁器をつくるために欠かせない原料です。それまでフランスでは、カオリンを使わない軟質磁器が中心でした。


原料の発見後、1771年にはリモージュに最初の磁器製作所が設けられました。周辺で原料や燃料を確保できたことに加え、成形、焼成、絵付けなどに携わる職人や企業が集まり、地域全体に磁器産業が形成されていきます。


19世紀には多くの民間工場が生まれ、ホテルやレストラン向けの食器、家庭用のテーブルウェア、装飾品など、生産の幅を広げました。海外市場への輸出も進み、「リモージュ」は特定の一社ではなく、地域でつくられる磁器を示す名称として知られるようになります。


セーヴルが王室と国家の美意識を担った製作所であるのに対し、リモージュは原料を起点として企業と職人が集積した産業地域でした。



サルグミーヌ(Sarreguemines)|日常の器を支えた工業生産

フランス北東部、現在のドイツ国境に近いサルグミーヌでは、18世紀末からファイアンスの工場生産が発展しました。この地域では、食器だけでなく、炻器、衛生陶器、タイル、装飾陶器など、生活や建築に関わる幅広い製品がつくられました。


19世紀には原料の粉砕や素地の製造、成形、装飾、焼成といった工程が分業化され、生産設備も拡張されます。水路を利用して原料や素地を運び、大量の製品を各地の市場へ供給する仕組みが整えられました。


サルグミーヌの特徴は、特別な注文品だけではなく、多くの人が日常で使う製品を安定して生産したことにあります。王室や上流階級のための陶磁器から、家庭、飲食店、公共施設で使われる器へ。サルグミーヌは、フランスの陶磁器が限られた人のための装飾芸術から、社会を支える近代産業へ広がっていったことを示す産地です。




王室が価値をつくり、産地が市場へ広げた

フランスの陶磁器は、一つの技術や様式によって発展したものではありません。

ヌヴェールでは、イタリアから伝わったファイアンスがフランス独自の表現へ変化しました。

セーヴルでは、王室の支援によって磁器が国家の芸術として位置づけられました。

リモージュでは、カオリンの発見を起点に磁器産業が形成され、サルグミーヌでは工場生産によって日常の器が広く供給されました。


王室は、優れた技術と芸術家を集め、磁器に文化的な価値を与えました。

産地と企業は、その技術を受け継ぎながら、生産量を増やし、用途を広げ、国内外の市場へ届けました。


フランスの陶磁器産地は、工芸が権力によって保護されるだけでなく、技術、産業、流通と結びつくことで、社会に広がっていく過程を示しています。

焼きものは、王室のための美術品から、国家を象徴する文化となり、やがて多くの人が使う産業製品へ。

フランスでは、その異なる役割が、複数の産地によって受け継がれてきました。





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