青は、どこから来たのか。呉須とコバルトの世界史。
中国の青花、トルコのイズニク、日本の染付、オランダのデルフト、ドイツのマイセン。
異なる国でつくられた陶磁器に、共通して使われてきた青があります。その青を生み出しているのが、コバルトです。世界各地の陶磁器を彩ってきたコバルトは、どこで採れ、どのように運ばれ、それぞれの土地でどのような青へと変わったのでしょうか。
一つの鉱物をたどると、陶磁器の歴史が、交易によってつながっていたことが見えてきます。

呉須とコバルトは、同じものなのか
日本では、染付に使う青色顔料を「呉須(ごす)」と呼びます。白い素地に呉須で文様を描き、その上から透明な釉薬を掛けて焼く。焼成前には黒や灰色に見える顔料が、窯の中で青く発色します。
呉須は単一の鉱物名ではありません。伝統的な呉須は、コバルトを含む天然の鉱石を原料とし、鉄、マンガン、ニッケルなど、ほかの成分も含んでいました。
そのため、産地や精製方法によって、鮮やかな青、灰色がかった青、黒みを帯びた青など、異なる発色が生まれます。
現在では、精製した酸化コバルトや、複数の金属成分を調合した顔料も、広い意味で呉須と呼ばれています。
世界共通なのは、青の発色にコバルトが使われていることです。「呉須」は、主に日本の陶磁器文化の中で使われてきた呼び方です。
焼いても消えない青
陶磁器の色は、絵具を塗れば自由につくれるわけではありません。窯の中では、器は1000度を超える高温にさらされます。多くの色は変質したり、消えたり、釉薬の中に溶け込んだりします。
コバルトの特徴は、少量でも強く発色し、高温で焼いても青色を保つことです。
さらに、透明釉の下に文様を描く釉下彩に使うと、表面が擦れても色が落ちにくい。実用の器を長く彩る顔料として、非常に優れた性質を持っていました。
コバルトが世界各地で使われるようになった理由は、焼成に耐え、釉薬と結びつき、長く使える色だったからです。
コバルトの青は、磁器より先に使われていた
コバルトは、磁器が生まれるよりも前から、ガラスや釉薬を青く着色するために使われてきました。
古代エジプトや西アジアでは、青いガラスや装飾材がつくられました。イスラム圏では、建物を彩るタイルや陶器にも、青色の釉薬が使われています。9世紀頃のイラクでは、白い器面にコバルトブルーで文様を描いた陶器がつくられました。
当時のイスラム圏には、中国から白い陶磁器が運ばれていました。その白さを再現するため、陶工たちは錫を含む釉薬で器の表面を白くし、青い文様を加えました。つまり、白と青の組み合わせは、中国磁器だけから始まったものではありません。中国の白い器に対するイスラム圏の憧れと、西アジアで使われていたコバルトの技術。その二つが、早い時代から海を越えて影響し合っていました。

西アジアの青が、中国へ渡る
14世紀、元代の中国では、景徳鎮を中心に青花磁器の生産が本格化します。
青花とは、白い磁器にコバルト顔料で文様を描き、透明釉を掛けて高温で焼いたものです。日本では、この技法を染付と呼びます。
初期の青花磁器に使われたコバルトの一部は、イランなど西アジアから運ばれたと考えられています。当時はモンゴル帝国の広域支配によって、中国、中央アジア、西アジアを結ぶ人や物の移動が活発になっていました。陸上のシルクロードだけでなく、インド洋や東シナ海を通る海上交易も、顔料や陶磁器を運びました。運ばれたのは、コバルト鉱石だけではありません。
イスラム圏で好まれた大きな皿や壺、幾何学文様、植物文様、金属器を思わせる形なども、中国の陶磁器に取り入れられました。西アジアから届いた青は、景徳鎮の白い磁器と出会い、中国独自の青花へと変わっていきました。
中国で完成し、再び西へ
景徳鎮でつくられた青花磁器は、中国国内だけでなく、東南アジア、西アジア、アフリカ、ヨーロッパへと輸出されました。西から中国へ運ばれたコバルトが、中国で磁器を彩る技術へと発展し、その製品が再び西へ渡る。
青は、東西を一方向に移動したのではありません。原料、技術、文様、製品が、何度も往復していました。
オスマン帝国では、中国の青花磁器が宮廷で珍重されました。イズニクの職人たちは、白い素地にコバルトブルーで文様を描く表現を取り入れます。そこへ青緑、緑、黒、赤を加え、チューリップ、カーネーション、バラ、サズの葉など、オスマン帝国独自の意匠へと発展させました。
中国の青花を出発点としながら、中国とは異なる青の文化が生まれたのです。
ヨーロッパが憧れた青と白
中国の青花磁器は、ヨーロッパでも高い価値を持ちました。
しかし、ヨーロッパでは長い間、中国と同じ磁器をつくることができませんでした。そこで各地の陶工たちは、手に入る材料と技術を使い、青と白の器を再現しようとします。
オランダのデルフトでは、陶器の表面を錫釉で白く覆い、コバルトブルーで風景、人物、植物などを描きました。中国磁器の文様を取り入れながら、やがてオランダの暮らしや風景も描かれるようになります。
18世紀初頭、ドイツのマイセンでヨーロッパ初の硬質磁器が実用化されると、磁器にもコバルトによる青い絵付けが施されました。
中国の青花を再現しようとした試みは、デルフトやマイセンなど、それぞれの土地を代表する陶磁器へと変化していきました。
日本で「呉須」になった青
日本で染付磁器の生産が本格的に始まったのは、17世紀初頭の有田です。朝鮮半島から伝わった磁器製造技術を基礎としながら、中国磁器の形や文様を参考に、青い文様を持つ器がつくられました。
当時の日本では、染付に適した良質なコバルト原料をほとんど産出できませんでした。そのため、呉須は主に中国からの輸入に頼っていました。天然呉須には、コバルト以外の成分も含まれています。
不純物が多ければ、青は黒や灰色に近づきます。精製度や調合、焼成条件によっては、淡くにじんだ青や、深く沈んだ青になります。初期伊万里や古い染付に見られる不均一な青は、技術が未熟だったためだけに生まれたものではありません。天然顔料の成分や、素地、釉薬、窯の状態が重なって生まれた色でもあります。
明治時代になると、ヨーロッパから精製されたコバルト顔料や化学的な調合技術が伝わり、より鮮やかで安定した青をつくれるようになります。呉須は、天然の鉱石を砕いて使う顔料から、成分を管理してつくる工業材料へと変わっていきました。
同じコバルトでも、違う青になる
景徳鎮の青花、イズニクの青、デルフトブルー、マイセンの青、有田の染付。
同じコバルトを使っていても、青は同じにはなりません。
コバルト鉱石に含まれる鉄やマンガンなどの成分。顔料の精製方法。素地の白さ。釉薬の成分。焼成温度。窯の中の酸素量。そして、筆に含ませる水分や描き方。いくつもの条件が重なり、それぞれの青が生まれます。
均一で鮮やかな青だけが、優れた青とは限りません。にじみ、濃淡、黒み、輪郭の揺らぎも、その時代の材料と技術が残した表情です。
青がつないだ、世界の陶磁器
コバルトは、西アジアから中国へ渡り、青花磁器の発展を支えました。
中国でつくられた青花磁器は、イスラム圏、ヨーロッパ、日本へ運ばれ、それぞれの土地で新しい陶磁器を生み出しました。そして日本では、その青色顔料が呉須と呼ばれ、染付の文化を支えました。
一つの鉱物が、同じ姿のまま世界へ広がったわけではありません。
移動するたびに、その土地の土、釉薬、窯、暮らし、美意識と出会い、異なる青へと変わっていきました。
器に描かれた青は、単なる装飾ではありません。
鉱物が採られた場所、顔料を運んだ人々、技術を受け継いだ職人、海や陸を越えた交易の記憶が、その色の中に残されています。



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