top of page

世界の陶磁器産地 | スペイン編

10月16日
読了時間: 5分

イスラムの技術は、なぜこの地に残ったのか。


金属のように光る器。青や緑、黄で描かれた食器。宮殿や教会、街の壁を覆う色鮮やかなタイル。

スペインの陶磁器は、中国やドイツのように、白い磁器の完成を中心に発展したわけではありません。その基礎をつくったのは、イスラム圏からイベリア半島へ伝わった、白い錫釉、ラスター彩、幾何学文様、そして建築を装飾するタイルの技術でした。


やがて支配する王朝や宗教が変わっても、技術を持つ陶工たちは各地で制作を続けます。イスラムとキリスト教、地中海交易と宮廷文化が重なり、スペイン独自の陶磁器が生まれました。

今回は、現在のスペインに位置する代表的な陶磁器産地を中心に、その成り立ちを見ていきます。


※ここで紹介するのは、スペインの陶磁器産地の一部です。歴史上の窯場と現在の産地は、必ずしも同じ規模や生産体制で継承されているわけではありません。
※ここで紹介するのは、スペインの陶磁器産地の一部です。歴史上の窯場と現在の産地は、必ずしも同じ規模や生産体制で継承されているわけではありません。


マラガ(Málaga)|イスラム陶器が築いた出発点

8世紀以降、イベリア半島の広い地域はイスラム勢力の支配下に入りました。北アフリカや中東との交流を通じて、錫を含む白い釉薬や、金属的な輝きを生み出すラスター彩などの技術が伝わります。

13世紀頃のアンダルシアでは、ムルシア、アルメリア、マラガなどでラスター彩陶器がつくられました。なかでもマラガの製品は高く評価され、「マラガの器」を意味する名称で知られるほどになりました。


白い器面にコバルトの青や金属光沢を重ねた陶器は、宮廷や富裕層に求められ、地中海を通じて各地へ運ばれました。マラガは、良質な土を持つ窯場であるだけでなく、イスラム世界とヨーロッパを結ぶ港湾都市でもありました。



マニセス(Manises)|金色に輝く器をヨーロッパへ

14世紀になると、イスラム系の陶工たちが、南部からバレンシア周辺へ移り住むようになります。その代表的な産地が、バレンシア近郊のマニセスです。

ここでは、白い錫釉を施した器に、銅や銀の化合物を含む顔料で文様を描き、低温の還元焼成で再び焼くラスター彩が発展しました。焼成によって釉薬の表面にごく薄い金属層が生まれ、金や銅のような光沢が現れます。


初期の製品には、アラビア文字を思わせる装飾や植物文、幾何学文様など、イスラム美術の影響が色濃く残されていました。その後、キリスト教圏の紋章や人物、動植物の文様も加わります。

異なる文化の意匠を取り込みながら、マニセスの陶器は地中海交易によってイタリアやフランスをはじめ、ヨーロッパ各地へ輸出されました。マニセスは、イスラムの技術がキリスト教社会の需要と結びつき、国際的な商品へ変化した産地でした。



タラベラ・デ・ラ・レイナ(Talavera de la Reina)|白い器面に広がった色彩

スペイン中部のタラベラ・デ・ラ・レイナでは、錫釉を使った陶器が発展しました。錫釉をかけることで、褐色や赤色の陶土の表面を、不透明な白色に見せることができます。この白い器面が、青、黄、緑、橙などの絵付けを引き立てました。


16世紀から17世紀にかけて、タラベラでは皿や鉢、壺、薬局で使われる容器のほか、壁面を飾るタイルも生産されました。装飾には、イスラム陶器の技術だけでなく、イタリアのマヨリカ、中国の青花磁器、フランドルの絵画など、さまざまな影響が見られます。


近隣のエル・プエンテ・デル・アルソビスポ(El Puente del Arzobispo)とともに受け継がれてきた制作工程は、現在も地域の工房で守られています。土の調整から成形、施釉、手描き、焼成までを分業しながら進める伝統的な制作工程は、2019年、メキシコのプエブラ、トラスカラのタラベラとともに、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。



セビリア・トリアナ(Sevilla・Triana)|陶磁器が建築になった街

セビリアを流れるグアダルキビール川の西岸に位置するトリアナは、古くから陶器とタイルの生産で知られてきました。ここでは食器や壺だけでなく、宮殿、教会、住宅、広場などを装飾するアスレホと呼ばれるタイルが数多くつくられました。


繰り返される幾何学文様、植物文、宗教画、街の看板。陶磁器は食卓の上に置かれる道具にとどまらず、建物の表面を覆い、都市の景観をつくる素材になりました。


大西洋交易の拠点となったセビリアからは、陶器やタイルだけでなく、職人の技術も海を渡りました。その影響は、スペイン領となった中南米各地の建築や陶器にも残されています。トリアナは、陶磁器が器から建築へ、さらに都市の文化へと広がった産地です。



ラルコラ(L’Alcora)|工房から「工場」へ

18世紀になると、スペインの陶磁器生産にも新しい仕組みが持ち込まれます。

1727年、バレンシア州カステリョン県のラルコラに、アランダ伯爵によって王立陶器工場が設立されました。

それまでの地域の工房とは異なり、職人を集め、製品の形や文様を設計し、分業によって品質を管理する工場型の生産です。初期には錫釉陶器が中心でしたが、フランスやイタリアなどから技術者や図案の影響を受け、繊細な絵付けの食器、壺、彫像などがつくられました。18世紀後半には、ヨーロッパ各地で進んでいた磁器開発にも取り組んでいます。ラルコラでは、陶磁器が地域の手工芸から、計画的に設計・生産される産業へと変わっていきました。



支配する人が変わっても、技術は残った

スペインの陶磁器には、一つの文化だけでは説明できない複雑さがあります。

イスラム勢力のもとで伝わった釉薬やラスター彩は、キリスト教勢力が支配する時代になっても失われませんでした。陶工たちは移動し、新しい注文主のために、紋章や宗教的な図像を取り入れながら制作を続けました。


マラガからマニセスへ。食器から建築タイルへ。イベリア半島からヨーロッパ、さらに大西洋の向こう側へ。

技術は、政治や宗教の境界で途切れたのではなく、使い手と場所を変えながら受け継がれました。

スペインの陶磁器産地をつくったのは、土だけではありません。異なる文化を排除せず、形を変えながら使い続けたこと。その積み重ねが、食器と建築、イスラムとヨーロッパを結ぶ、スペイン独自の陶磁器文化を生み出したのです。






コメント


bottom of page