世界の陶磁器産地 | デンマーク編
王室の磁器は、なぜ暮らしのデザインになったのか。
白い磁器に、コバルトブルーで描かれた繊細な模様。デンマークの陶磁器と聞いて、ロイヤル・コペンハーゲンの器を思い浮かべる人は多いかもしれません。しかし、デンマークの陶磁器文化をつくったのは、一つの王室磁器工房だけではありません。
コペンハーゲンでは、王室の支援を受けて磁器生産が始まりました。ネストヴェズでは、ストーブや建築陶器の工房が芸術陶器へと発展し、バルト海に浮かぶボーンホルム島では、地域の粘土を使った陶器や炻器がつくられてきました。
王室の威信を示す磁器、輸出を担う工業製品、暮らしの中で使われる器、作家による造形。それらが互いに影響し合いながら、デンマークの陶磁器は、やがて「デザイン」という価値を強く持つようになります。
今回は、代表的な産地と工房を通して、王室磁器から近代デザインへと続く流れを見ていきます。

コペンハーゲン(Copenhagen)|磁器を国家の産業にする
ヨーロッパでは18世紀、中国や日本から輸入された磁器への憧れを背景に、各国で磁器製造の研究が進められました。デンマークでも、薬剤師で鉱物学の知識を持つフランツ・ハインリヒ・ミュラーが、磁器製造の試験を重ねます。
1775年、王室の保護のもとで磁器工房が設立されました。これが、後のロイヤル・コペンハーゲンへとつながる王立磁器製作所です。しかし、磁器づくりには、原料の調合、成形、焼成、絵付けなど、高度な技術と多額の資金が必要でした。
経営は安定せず、1779年には国王が財政的な責任を引き受け、工房は王立デンマーク磁器製作所となります。
ここでは、磁器は単なる商品ではありませんでした。自国で白い磁器をつくることは、王室の威信を示すと同時に、海外から輸入していた高級品を国内で生産する国家的な事業でもありました。
ブルーフルーテッド|模様を受け継ぎながら変える
創業初期からつくられてきた代表的な器が、ブルーフルーテッドです。
器の表面には溝を伴うレリーフが施され、その上にコバルトブルーの植物文様が手描きされます。白地に青で描く装飾は、中国磁器やヨーロッパ各地の青花磁器の流れを受けたものでした。しかし、同じ図案を機械的に繰り返すのではありません。器の形やレリーフに合わせて、絵付け職人が筆の動きを調整しながら描いていきます。
模様には基準がありながら、一枚ずつ線の太さや濃淡がわずかに異なる。ブルーフルーテッドは、統一された製品をつくる工場生産と、手仕事による個体差を両立させた器でした。
その後も、フルレース、ハーフレース、ブルーフルーテッド・メガなど、基本となる模様を残しながら、時代に合わせて再構成されています。伝統をそのまま保存するのではなく、繰り返し描き直すことで更新する。それが、この器が長く使われてきた理由の一つです。
フローラ・ダニカ|植物図鑑を食器にする
王立磁器製作所を代表するもう一つの食器が、フローラ・ダニカです。
その装飾の原画となったのは、デンマーク王国に自生する植物を記録した植物図鑑『フローラ・ダニカ』でした。
18世紀後半のヨーロッパでは、自然界を観察し、分類し、記録する博物学が発展します。その知識を磁器の上に移し替えたのが、フローラ・ダニカの食器でした。
皿や鉢には、華やかな園芸植物だけでなく、野草、苔、菌類なども描かれ、それぞれに学名が記されました。
制作は1780年代末頃に始まり、絵付師ヨハン・クリストフ・バイエルを中心に、長い年月をかけて多数の器がつくられます。
この食器は、ロシア皇帝エカチェリーナ2世への外交上の贈り物として計画されたとも伝えられています。ただし、当初の用途や贈り先については、現在も確定していない部分があります。完成した食器は1803年、国王クリスチャン7世の誕生日の宴で初めて使用されました。
フローラ・ダニカは、王室のための豪華な食器であると同時に、自然科学、絵画、工芸、外交が一つの器の上で結びついた存在でした。
ビング&グレンダール|競争が表現を広げる
19世紀になると、コペンハーゲンには王立磁器製作所とは異なる磁器工房も生まれます。その代表が、ビング&グレンダールです。
王室の工房と競いながら、食器、人物や動物の像、記念品など、幅広い磁器製品をつくりました。19世紀後半には、日本美術の影響がヨーロッパに広がります。デンマークの磁器にも、鳥や魚、水辺の植物、余白を生かした構図など、日本美術から着想を得た表現が取り入れられました。
ビング&グレンダールの「鷺のサービス」では、鷺の姿や羽根を、絵付けだけでなく立体的なレリーフとして器に組み込んでいます。
磁器は、既存の模様を受け継ぐだけでなく、芸術家やデザイナーが新しい表現を試す素材になっていきました。
二つの磁器工房は後に統合されますが、長く競い合ったことが、デンマーク磁器の技術と表現の幅を広げました。
ネストヴェズ(Næstved)|ストーブ工房から芸術陶器へ
コペンハーゲンの南西に位置するネストヴェズでは、ケーラーの陶器工房が発展しました。その始まりは、食器専門の工房ではありません。タイル張りストーブや建築に使う陶器など、生活と建物に関わる製品を手がけていました。
19世紀後半になると、需要や社会の変化に対応するため、工房は芸術陶器の制作に力を入れます。画家、彫刻家、建築家などを招き、器の形や装飾、釉薬の研究を進めました。なかでも、金属のような光沢を持つ赤いラスター釉は、ケーラーを象徴する表現の一つとなります。
工房は、職人だけで完結する場所ではなく、異なる分野の表現者が集まり、素材と技術を試す場へと変化しました。
建築陶器から始まった工房が、芸術家との協働によって、デンマークを代表する陶器ブランドへ成長したのです。
ボーンホルム(Bornholm)|島の土から生まれた炻器
バルト海に浮かぶボーンホルム島には、陶器や炻器に適した粘土があり、地域の材料を生かした焼きものがつくられてきました。島の中心都市レネでは、19世紀に陶器工場が設立され、日用品から装飾品まで幅広い製品が生産されます。
1835年に始まったスーホルム、1859年に創業したヨート工房などは、ボーンホルムを代表する陶器工房として知られています。ヨート工房では、島で採れる粘土を使い、現在も伝統的な工程を生かした炻器づくりが行われています。
ボーンホルムの陶磁器は、王室のためにつくられたコペンハーゲンの磁器とは異なり、島の地質、燃料、生活、工房の技術を基盤として発展しました。
20世紀に入ると、多くの陶芸家やデザイナーが島に集まり、工場生産と作家活動が共存するようになります。
原料のある場所が工房を生み、工房が人を呼び、島全体が陶芸の拠点になっていきました。

王室の器から、暮らしのデザインへ
コペンハーゲンでは、王室の支援によって磁器製造が始まりました。
ネストヴェズでは、建築陶器の工房が芸術家との協働によって表現を広げました。
ボーンホルムでは、島の粘土と工房の技術が、生活陶器と現代陶芸を支えました。
デンマークの陶磁器は、最初から簡潔な北欧デザインだったわけではありません。
中国磁器への憧れ、王室の需要、工場間の競争、博物学、日本美術、建築、島の資源。
異なる要素を取り入れ、それを暮らしに合う形へと整理し直すことで、デンマークらしい器が生まれました。
伝統的な模様を守りながら、時代に合わせて描き変える。工場の技術を、芸術家やデザイナーへ開く。美術品としての器と、日常で使う器を切り離さない。
デンマークの陶磁器産地は、王室のための特別な磁器が、どのように人々の暮らしを支えるデザインへ変化していったのかを伝えています。



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