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世界の陶磁器産地 | ベルギー編

10月29日
読了時間: 5分

国境の変化は、器づくりをどう動かしたのか。


フランス、オランダ、ドイツに囲まれたベルギー。

現在の国土は小さいものの、その中には、中世の炻器、宮廷文化を支えた磁器、近代化によって大量生産された食器など、異なる背景を持つ陶磁器産地が点在しています。しかし、それらが初めから「ベルギーの陶磁器」として生まれたわけではありません。


現在のベルギーが独立したのは1830年。それ以前、この地域は周辺諸国の支配や文化的影響を受けながら、政治的な境界を何度も変えてきました。陶工や技術、原料、製品もまた、現在の国境を越えて移動しています。


今回は、現在のベルギーに位置する代表的な陶磁器産地を通して、国境と産業の変化が、器づくりに与えた影響を見ていきます。


※ここで紹介するのは、ベルギーにある陶磁器産地の一部です。現在の国境が成立する以前に発展した窯業地も含まれます。
※ここで紹介するのは、ベルギーにある陶磁器産地の一部です。現在の国境が成立する以前に発展した窯業地も含まれます。


ラーレン(Raeren)|海を渡った炻器

現在のベルギー東部、ドイツとの国境近くに位置するラーレンでは、中世から炻器がつくられてきました。

鉄分を含む粘土を高温で焼き締めた炻器は、吸水性が低く、丈夫で、液体や食品の保存に適しています。ラーレンの炻器生産は15世紀頃から広く知られるようになり、16世紀後半から17世紀にかけて最盛期を迎えました。


壺や水差し、酒を入れる容器などが数多くつくられ、表面には人物、紋章、宗教物語、農民の踊りなどを表した装飾が施されました。これらの器は、周辺地域だけで使われたのではありません。オランダやイギリス、スペインなどの商人によって船に積まれ、ヨーロッパ各地や海外へ運ばれました。


世界各地の遺跡や沈没船からラーレンの炻器が見つかっていることは、この地域の器が広い交易網に組み込まれていたことを示しています。現在の国境で見ればベルギーの産地ですが、その技術と市場は、ライン川流域に広がる窯業文化の中で育ったものでした。



アンデンヌ(Andenne)|土地の粘土から続く器づくり

ワロン地方のアンデンヌは、陶器づくりに適した粘土に恵まれた地域です。この地域では中世から、壺、鉢、水差し、保存容器など、暮らしに必要な器がつくられてきました。


産地を支えたのは、成形しやすい粘土だけではありません。近くを流れるムーズ川は、原料や製品を運ぶための交通路となり、周辺地域との交易を可能にしました。


時代が進むと、日用陶器に加えて、ファイアンスや装飾陶器などもつくられるようになります。

アンデンヌの陶磁器は、一つの有名なブランドによって知られるというより、地域の粘土と職人の仕事が長い時間をかけて積み重なったものです。


現在も、博物館、展覧会、教育、作家活動などを通じて、歴史的な窯業文化と現代陶芸をつなぐ取り組みが続けられています。



トゥルネー(Tournai)|国が生まれる前の磁器産業

フランスとの国境に近いトゥルネーでは、18世紀半ばから磁器生産が本格化しました。当時、この地域はまだベルギーという国ではなく、オーストリア領ネーデルラントの一部でした。


1750年頃、フランソワ=ジョゼフ・ペテリンクによって磁器工房が発展し、王侯貴族や富裕層に向けた食器や装飾品がつくられるようになります。

1752年には「帝室・王室磁器製作所」の称号を与えられ、トゥルネーの磁器はヨーロッパ各地へ輸出されました。

白い器に青で花や縁飾りを描いたもの、多彩色の花を施したもの、金彩を用いたものなど、その装飾にはフランスをはじめとする周辺地域の影響が見られます。


トゥルネーの磁器は、ベルギー独自の様式から突然生まれたものではありません。宮廷文化、フランスの意匠、ヨーロッパ各地を移動する職人、市場を求める商人。複数の要素が国境を越えて結びつくことで成立した磁器産業でした。



ラ・ルヴィエール(La Louvière)|工場が都市をつくる

19世紀に入ると、ベルギーの陶磁器生産は、職人の手仕事だけでなく、工場による大量生産へと広がっていきます。

その代表的な場所が、ラ・ルヴィエールです。

1841年、ジャン=フランソワ・ボッホとその一族によって、陶器工場の建設が始まりました。後にボッホ・フレール・ケラミスとして発展する工場です。この場所が選ばれた背景には、近隣の粘土、窯を焚くための石炭、シャルルロワ運河、鉄道など、生産と輸送に必要な条件がそろっていたことがありました。


工場では、成形や焼成、絵付けなどの工程が分業化され、広く家庭で使われる食器が大量につくられました。

やがて工場の周辺には、働く人々の住居や商店、生活に必要な施設が集まり、一つの都市が形づくられていきます。

産地の中に工場が建てられたというより、工場を中心に街が生まれたのです。



ボッホ・ケラミス|日用品からアール・デコへ

ボッホ・ケラミスは、日常の食器を大量生産する一方で、芸術性の高い陶磁器も手がけました。

20世紀初頭には、フランス出身の装飾家シャルル・カトーが加わり、幾何学模様、植物、動物などを大胆に構成した作品を生み出します。手仕事だけで制作する一点物ではなく、型や装飾技術を活用しながら、芸術的なデザインを多くの人へ届ける。それは、工業製品と工芸の間に新しい価値をつくる試みでもありました。


ベルギーで発展したアール・ヌーヴォーやアール・デコの表現は、建築や家具だけでなく、花器や食器、タイルなどの陶磁器にも広がっていきます。陶磁器工場は、生活用品を生産する場所であると同時に、新しいデザインを社会へ送り出す場所にもなりました。



一つの国、一つの様式ではない

ラーレンでは、丈夫な炻器が交易品として海を渡りました。

アンデンヌでは、地域の粘土を使った生活の器がつくられました。

トゥルネーでは、宮廷文化と国際的な技術の移動から磁器産業が生まれました。

ラ・ルヴィエールでは、石炭、運河、鉄道、労働力が結びつき、工場が都市をつくりました。

それぞれの産地は、同じ国の中にありながら、原料も、時代も、つくられた器も異なります。


ベルギーの陶磁器を、一つの色や模様で表すことはできません。むしろ、政治的な境界が変わっても、土を焼く技術は地域に残り、人や物とともに国境を越えてきました。

ヨーロッパの交差点に位置するベルギーの陶磁器産地は、ものづくりの文化が、現在の国境よりも長く、広く続いてきたことを伝えています。


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