建築を支えた、常滑の土と技術。
1923年、東京・日比谷に完成した帝国ホテルの旧本館。
アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが設計したこの建物は、幾何学的な装飾と、水平に広がる独特の外観で知られています。その建築を彩ったのは、大谷石と、黄色みを帯びた煉瓦やテラコッタ。そして、それらの陶製建材をつくったのが、愛知県常滑の職人たちでした。
建築家が求めた、黄色い煉瓦。
ライトが求めたのは、当時の日本では珍しかった、淡い黄色の煉瓦でした。
表面には細かな縦の溝が刻まれ、光の当たり方によって繊細な陰影が生まれます。「スダレ煉瓦」と呼ばれたこの建材は、現在のスクラッチタイルにつながるものです。
しかし、当時の日本では赤煉瓦が一般的。ライトの求める色と質感を、大量に、安定してつくることは簡単ではありませんでした。そこで注目されたのが、古くからやきものの産地として知られる常滑でした。
400万個の煉瓦を焼く。
常滑には、甕や壺、土管などをつくってきた歴史があります。とりわけ近代には、土管の機械成形技術が発達していました。帝国ホテルの建設にあたり、常滑にはホテル直営の「帝国ホテル煉瓦製作所」が設けられます。
技術指導を担ったのは、陶工の伊奈初之烝・長三郎親子。職人たちは原料や焼成方法を工夫しながら、ライトの求める色や形を実現していきました。
製造されたのは、約250万個のスダレ煉瓦と、約150万個の穴抜け煉瓦。さらに、複雑な装飾を施したテラコッタも数万個に及びました。その数、煉瓦だけで約400万個。建築家の構想を実際の建物にするために、産地の技術と生産力が必要だったのです。
土管の技術が、タイルへ。
帝国ホテルの建設で生かされた技術の一つが、土を押し出して成形する方法でした。もともと土管づくりに使われていた機械成形の技術は、穴抜け煉瓦の製造に応用され、やがて薄い外装タイルの生産にもつながっていきます。
また、帝国ホテルの建材製造が終わった後、その設備や職人たちは伊奈製陶所へ引き継がれました。
1924年には伊奈製陶株式会社が設立され、後のINAX、現在のLIXILへと発展していきます。帝国ホテルの建設は、一つの建物を完成させただけでなく、常滑の建築陶器産業に新たな展開をもたらしたのでした。

建築に残る、やきものの仕事。
旧帝国ホテル本館は1967年に解体されましたが、その中央玄関部分は愛知県犬山市の博物館明治村に移築・復元されています。現在も、細かな溝を刻んだ煉瓦や、透かし模様のテラコッタがつくり出す独特の空間を見ることができます。
一つひとつの建材は、土を成形し、窯で焼いたやきものです。
けれど、それらが何百万個も組み合わされることで、一つの建築が生まれました。皿や茶碗をつくる技術が、壁をつくり、空間をつくり、都市の景観をつくっていく。
旧帝国ホテルには、建築家の構想とともに、それを形にした産地の技術が刻まれています。



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