我戸幹男商店 | 一本の線に宿る、我戸幹男商店のものづくり
我戸幹男商店は、1908年(明治41年)、石川県・山中温泉で「我戸木工所」として創業しました。漆器の素地を挽く木地屋として始まり、二代目の我戸幹男氏がものづくりの基礎を築きます。その後、息子の我戸彰夫氏と我戸宣夫氏が事業を継ぎ、木地づくりから企画・販売までを担う産地問屋へと発展させました。
四代目の我戸正幸氏は、東京の漆器問屋で流通や販売を学び、2004年に故郷へ戻りました。当時、生活様式の変化や安価な製品の普及によって、漆器を取り巻く環境は厳しさを増していました。価格で比べられるだけでは、山中漆器が持つ本来の価値を伝えることはできません。そこで目を向けたのが、山中に受け継がれてきた木地挽きの技術と、その技術を最大限に生かすデザインでした。
我戸幹男商店は、外部のデザイナーとの協働を始めます。しかし、依頼したのは「売れるもの」をつくることではありません。山中漆器の技術と素材を生かした、美しい形をデザインしてほしいと伝えました。
どのように売り、どのような言葉で価値を伝え、どこへ届けるかを考えるのは、自分たちの仕事です。売れるものをデザイナーに求めれば、ものづくりの判断に市場の都合が入り込み、デザインの可能性を狭めてしまいます。だからこそ、デザイナーには形と向き合うことに集中してもらい、つくることと売ることの役割を明確に分けました。
目指したのは、装飾で目を引く器ではなく、形そのものが静かな存在感を放つ器です。どの角度から見ても美しく、手に取ると自然になじむこと。わずかな膨らみや細さ、曲線のつながりを何度も見直し、シルエットを研ぎ澄ませていきました。
その姿勢を象徴するのが、茶筒の「KARMI」です。山中漆器の高い轆轤技術を生かし、余分な要素を削ぎ落とした端正な輪郭を備えています。一見すると簡潔ですが、簡潔な形ほどごまかしは利きません。素材の選び方、木地の精度、漆の仕上がり、そのすべてが整って初めて、一つの美しい形として成立します。
デザイン画に描かれた線を、職人が木から立体として挽き出していく。その過程では、デザイナーの感性だけでも、職人の技術だけでも完成しません。互いの領域を尊重しながら対話を重ねることで、山中漆器の技術が現代のシルエットへと置き換えられていきます。
初代から受け継がれた木地の技術、先代が整えた企画と販売の仕組み、そして四代目が築いたデザイナーとの関係。それぞれの時代の積み重ねが、現在の我戸幹男商店を形づくっています。
「何を足すか」ではなく、「どこまで研ぎ澄ませるか」。その一本の線には、受け継がれてきた技術と、美しいものを自分たちの手で世に届けようとする意志が表れています。



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