カネコ小兵 | 漆でも、ガラスでもない。ぎやまん陶という器。
「ぎやまん」。
もともとは、オランダ語の「diamant(ダイヤモンド)」に由来するとされる言葉です。
江戸時代にはダイヤモンドを指し、やがてダイヤモンドで加工したカットガラスから、ガラス製品そのものを「ぎやまん」と呼ぶようになりました。その古い言葉を名前に持つ、美濃焼があります。岐阜県土岐市、カネコ小兵製陶所の「ぎやまん陶」です。
一見すると、漆器のようにも見える。光を受けると、ガラスのような透明感もある。その独特の表情を、磁器によってつくり出しました。

徳利から、生活の器へ
カネコ小兵製陶所は、1921年(大正10年)、美濃焼の産地・土岐市下石町で創業しました。
初代・伊藤小兵が共同の登り窯を使い、酒器や神仏具などをつくり始めたのがその始まりです。二代目の時代には、燗徳利の生産に力を入れるようになります。高度経済成長期、居酒屋や宴会などで徳利の需要が増えるなか、量産設備を導入。1970年頃には月に約13万本、年間約160万本を生産し、徳利生産量日本一の窯元となりました。
その後、時代とともに酒器の需要も変化します。
1990年代に入ると、それまでの徳利を中心としたものづくりから、暮らしの中で使う生活食器へと方向を広げていきました。1996年に三代目・伊藤克紀が社長に就任。新しい自社製品の開発を進めるなかで生まれた代表的な器のひとつが、「ぎやまん陶」です。

漆器の美しさを、日常の器へ
ぎやまん陶の開発の出発点には、ひとつの考えがありました。漆器のような歴史と美しさを感じながら、丈夫で、日常で気兼ねなく使える器をつくれないだろうか。そこでカネコ小兵が取り組んだのが、漆器の光沢を磁器で表現することでした。使われたのは、「飴釉」と呼ばれる釉薬です。深い色の奥に光が入り、漆の溜め塗りを思わせるような艶が生まれます。
一方で、飴釉は扱いが難しく、安定した量産には向かない釉薬でもありました。
開発当初、5個のサンプルを焼いたところ、3個が良品になりました。ところが、次に100個焼いてみると、98個が不良品。少量の試作でうまくいくことと、製品として安定してつくることは、別の問題でした。
そこから、土、釉薬、焼成温度、窯の中での火の当たり方、器の形状などを変えながら、試作が繰り返されます。
開発期間は約2年半。そして2008年、「ぎやまん陶」が誕生しました。
「ぎやまん」という名前
試作を重ねるなかで、日本の伝統的な菊型の皿を焼いたときのこと。窯から取り出した磁器が、まるでガラスのように見えたといいます。開発の出発点にあったのは漆器でしたが、磁器と飴釉によって生まれたものには、ガラスを思わせる透明感がありました。
そこから付けられたのが、「ぎやまん陶」という名前です。
漆器のような深い艶と、ガラスのような透明感。その二つの表情を、磁器によってつくり出した器です。
日本で生まれ、世界の食卓へ
2008年に発表されたぎやまん陶は、その後ドイツの見本市に出展します。そこでクリスチャン・ディオールのバイヤーの目に留まり、パリのDIOR本店で販売されるようになりました。
その後、フランス人シェフ、ジャン=フランソワ・ピエージュが料理に使用。2012年には、ヴェルサイユ宮殿で開催されたドン・ペリニヨン主催の晩餐会で、デザートを盛る器として160枚が使われました。現在も、ピエージュが率いるパリの二つ星レストラン「Le Grand Restaurant」をはじめ、国内外の飲食店で使われています。
ぎやまん陶をきっかけのひとつとして世界へ広がり、現在ではフランスやアメリカをはじめ、海外でも同社の器が使われるようになっています。かつて徳利を大量につくっていた美濃の窯元から生まれた器が、現在では世界の食の現場へと広がっています。
伝統的なものをそのまま再現するのではなく、そこにある表情や美しさを、別の素材と技術によって形にする。
ぎやまん陶は、そうした発想と、美濃で培われてきた磁器製造の技術から生まれた器です。
漆でもなく、ガラスでもなく、磁器である。名前の由来から窯元の歴史、そして開発の背景までを知ると、「ぎやまん陶」という器の見え方も少し変わってきます。



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