top of page

中華料理は、なぜ世界の街にあるのか。——チョップスイからたどる、アメリカの移民と食の歴史

9月12日
読了時間: 5分


旅先で、中華料理店の看板を見かけることがあります。

言葉も食文化も違う街で、炒飯や麺、餃子の名前を見つける。初めて訪れた場所なのに、何を食べられるのか想像できる。その親しみやすさに、ほっとした経験がある人もいるでしょう。

なぜ、中華料理はこれほど広い地域に根づいているのでしょうか。その一端を、アメリカでかつて中華料理の代名詞となった「チョップスイ」からたどってみます。



なぜ、人々は海を渡ったのか。

中国から海外へ渡る人々の移動には、長い歴史があります。東南アジアとの海上交易を通じて、商人や船員が港町を行き来する道は、近代以前から開かれていました。

19世紀になると、海外で働き口を求める移住が大きく広がります。中国では、地域によって飢饉や内乱、社会不安が暮らしを圧迫していました。一方、海外では、港湾や鉱山、農園などで働き手が求められていました。生活の厳しさと、海外の仕事への期待が重なっていたのです。

アメリカでは、19世紀半ばのカリフォルニアのゴールドラッシュが人々を引きつけ、その後も鉄道建設や農業などが働き口になりました。妻や子どもを中国に残し、家族の暮らしを支えるために渡った男性も多くいました。

彼らが新しい土地で必要としたのは、働く場所と住まい、そして毎日の食事でした。



故郷の味が、畑も変えた。

初期にアメリカへ渡った中国人には、広東省の台山とその周辺地域の出身者が多く、彼らの食べ慣れた料理が、アメリカの中華料理の土台のひとつになります。


同じ出身地や言葉を持つ人々がつながり、その生活を食材店や料理店が支える。チャイナタウンは、そうした暮らしの拠点でした。集まって暮らす背景には、差別や排斥もありました。西部で暴力や差別に直面し、ニューヨークなどの東部の都市へ移った人々もいます。


料理を支える仕事も育っていきました。

1920年代のニューヨークでは、中国系の農家がロングアイランドで苦瓜や長豆、からし菜などを栽培し、チャイナタウンへ日々運んでいました。食べ慣れたものを、新しい土地でも食べたい。その需要は、料理店だけでなく、畑や食材の流通にも及んでいたのです。




チョップスイは、なぜ人気になったのか。

やがて料理店には、中国系の人々以外の客も訪れるようになります。

その広がりを象徴したのが「チョップスイ」でした。豚肉や鶏肉に、もやし、セロリなどの野菜を合わせ、炒めたり煮たりして、ご飯や麺とともに食べる料理です。具材や調理法には幅がありました。


起源には諸説ありますが、中国南部の家庭的な料理とのつながりが指摘されています。1883年には、ニューヨークの新聞に、その名前や具材を紹介する記事が登場していました。


当時、アメリカではどのような食事がとられていたのでしょうか。

19世紀末から20世紀初頭の料理書には、パン、スープ、肉や魚の料理、じゃがいも、パイなどが並びます。地域や所得、出身文化によって食事は異なり、肉の代わりに豆を使う、残り物を別の料理に仕立てるといった節約の工夫もありました。


そうした食生活の中で、中華料理店は、手頃な値段で満腹になり、いつもと違う料理を楽しめる場所になりました。ニューヨークでは、新しい体験を求める芸術家などが中華街の店を訪れ、その食事に魅力を見いだしました。

店側も、現地で手に入る食材や客の好みに合わせて、味つけや調理法を調整していきます。

肉や野菜というなじみのある食材を使いながら、異国の味を楽しめる。価格や満足感に加え、中華街へ出かけること自体も、外食の魅力になっていたのでしょう。

「CHOP SUEY」の文字は店の看板を飾り、一品の名前が、中華料理全体を思い浮かべる言葉になっていきました。




料理を好むことと、人を受け入れること。

チョップスイが人気を集めた時代は、中国人への移民制限や差別が続いていた時代でもありました。

1882年に成立した中国人排斥法は、中国人労働者の移住を厳しく制限しました。その背景には、人種的な偏見とともに、仕事や賃金をめぐる競争への不安もありました。

差別を推進した人と、中華料理店に通った人が、すべて同じだったわけではありません。

ただ、料理の人気が、そのまま移民の権利や社会的な平等につながったわけでもありませんでした。異国の料理を楽しむことと、その料理をつくる人々を対等な隣人として受け入れることには、隔たりがあったのです。


料理への好奇心と、人々への偏見が同時に存在する社会で、中国系の料理店は客を増やしていきました。その商売は、移住者たちが生計を立て、暮らしを続ける手段でもありました。



新しい人が来れば、料理も変わる。

アメリカの中華料理は、チョップスイの時代で止まりませんでした。

1965年の移民法改正後、新たな移民の到来とともに、湖南や四川、上海などの地域色を打ち出す料理店も広がっていきます。台湾などから渡った人々も、その担い手となりました。


誰が移り住むかによって、街で食べられる料理が変わる。新しい店が増えるたびに、「中華料理」という言葉から思い浮かべる味も広がっていきました。


一方で、以前からある料理は、その土地で暮らす人々の記憶に残ります。

故郷を離れた人が持ち込んだ味が、やがて別の国で育った人にとって、家族と食べた懐かしい味になる。

旅先の中華料理店に感じる親しみの背景にも、そうして料理が土地に根づいてきた歴史があるのかもしれません。


コメント


bottom of page